藤田田物語①手垢でボロボロに汚れた一通の「定期預金通帳」 |BEST TiMES(ベストタイムズ)

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藤田田物語①手垢でボロボロに汚れた一通の「定期預金通帳」

凡眼には見えず、心眼を開け、好機は常に眼前にあり

■かまぼこ板と天性の腕白坊主

 藤田田は、大正から昭和へと移り変わる年、1926(大正15)年3月13日に大阪府で生まれた。

 日本マクドナルドが創業20周年を迎えた91(平成3)年、65歳になった。父・良輔、母・睦枝を両親に、5人兄弟の次男として生まれた。父は仏教徒であったが、母は敬虔なクリスチャンで、わが子がクリスチャンになるようにと願って、藤田の「口」の中に小さな「十」字架を入れ、「田」と命名したという。

 藤田の父は、英国の「モルガン・カーボン・クルシーブル」日本支社に勤める電気技師で、収入も多く、大阪千里山に豪華な邸宅をかまえていた。当時としては珍しい洋風生活で、藤田はベッドで育った。

 小学校は公立小学校に通い、中学校の進学にあたっては大阪市淀川区にある名門進学校の旧制北野中学校(現・大阪府立北野高校)を受験した。

 だが、早熟で、たびたび生意気な質問をして先生を困らせたことが災いしたせいか、内申書の成績が悪く、不合格となってしまった。

 そこで、藤田は、父の了解を得て、自らの意志で小学生浪人を経験した。当時も今も極めて珍しいケースだ。それだけ旧制北野中学校への進学が、その後の進路を決めると考えていたからだ。

 近所の老人から〝かまぼこ板〟とあだ名されるほど勉強したのは、このころのことであった。いつ見ても、背中を丸めて机にかじりついて勉強していたからだ。

 39(昭和14)年4月、藤田は2度目の受験で念願の旧制北野中学校へ進学した。成績は十数番であったようだ。

 このとき現役でトップクラスで入学したのが松本善明(93歳。弁護士。元・共産党衆議院議員)である。

「私たちが入学した当時、旧制北野中学校は6クラス編成でした。旧制中学校では成績が1番からビリまで全部貼り出され、机に並ぶ順番も成績通りと決まっていました。また、6クラスの級長、副級長も成績順に12人までと決められていました。

 私は全クラスでトップの成績だったので常に級長を務め、全クラスの組長に選ばれました。藤田は全クラスで13~15番程度の成績で、級長・副級長にはなれなかったですね。藤田は私のことをよく知っていたと思いますが、中学時代はほとんど付き合いがなかったです」

松本善明 元・衆議院議員

 ちなみに、松本は26(大正15)年5月17日、大阪府生まれ。専門出版社「大同書院」(当時)の長男であった。学年では早生まれの藤田より1年下であるが、藤田が1浪して入学してきたので同期生となった。年齢は満13歳で同年齢である。

 松本は器械体操部に所属し、体を鍛えた。旧制北野中学校に入学して2年後の41(昭和16)年12月、真珠湾攻撃によってアメリカとの太平洋戦争が始まった。

 日本は初めのうちこそ快進撃を続けたが、42(昭和17)年6月のミッドウェー海戦での敗北を機に後退を余儀なくされた。43(昭和18)年4月に山本五十六連合艦隊司令長官が戦死、同年5月にはアッツ島部隊が玉砕した。

 純真な軍国少年であった松本は、他の級長2人と計3人で43年6月、海軍兵学校を受験した。

 当時、海軍兵学校が最難関とされたのは学業の優秀さに加え、身体が強健でなければ合格できなかったからである。このとき松本も含め旧制北野中学校からは三十数人が合格した。

 同年12月、松本は江田島の海軍兵学校に入学(第75期生、卒業は45年10月)。そして松本は江田島で終戦の玉音放送を聞くことになるのだ。

 藤田は旧制北野中学校に入学してからは陸上競技部に所属し、400メートル競走の選手をやっていた。陸上競技のなかでは瞬発力と耐久力が求められる厳しい中距離走の種目である。

 旧制北野中学校時代の同級生は「藤田は天性の腕白坊主であった」と証言している。藤田はヤンチャで、いつでも何か悪さをしていないと気がすまないといった性格であったから、教室にじっとしていることは少なかった。けれども、藤田のイタズラは、人の心を傷つけるような陰湿なものではなく、明るくカラッとしていた。ガリ勉タイプではなかったが、「試験のヤマを当てるのがうまかった」(藤田)ためか、成績は常に全クラスで上位10数番であった。

 しかしながら級友の間にも奇妙な人望があり、級長・副級長に次ぐ班長に推されたこともあった。

 全国屈指のラグビー校としても知られた旧制北野中学校では、大会があると全員で応援に参加した。参加しないと、先輩からビンタが飛んだが、こんなときでも藤田がビンタを張られることはまずなかった。

 判断が機敏で、すばしっこい上に、腕力にも自信があったからだと思われる。

(『日本マクドナルド20年のあゆみ』より加筆修正)〈②へつづく〉

②は4月10日(水)12時に配信予定です。

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中村 芳平

なかむら よしへい

外食ジャーナリスト

外食ジャーナリスト。1947年、群馬県生まれ。実家は「地酒の宿 中村屋」。早稲田大学第一文学部卒。流通業界、編集プロダクション勤務、『週刊サンケイ』の契約記者などを経てフリーに。1985年学研のビジネス誌『活性』(A5判、廃刊)に、藤田田の旧制松江高等学校時代の同級生を中心に7~8人にインタビュー、「証言 芽吹く商才 人生はカネやでーッ! これがなかったら何もできゃあせんよ」を6ページ書いた。これがきっかけで1991年夏、「日本マクドナルド20年史」に広報部から依頼されて、藤田田に2時間近くインタビューし、「藤田田物語」を400字約40枚寄稿した。今回、KKベストセラーズの「藤田田復刊プロジェクト」で新しく取材し、大幅に加筆修正、400字約80枚の原稿に倍増させた。タイトルを「藤田田 伝」と改めて、『頭のいい奴のマネをしろ』『金持ちだけが持つ超発想』『ビジネス脳のつくりかた』『クレイジーな戦略論』の4冊に分けて再収録した。現在、外食企業経営者にインタビュー、日刊ゲンダイ、ネット媒体「東洋経済オンライン」「フードスタジアム」などに外食モノを連載している。著書に『笑ってまかせなはれ グルメ杵屋社長 椋本彦之の「人作り」奮闘物語』(日経BP社)、『キリンビールの大逆襲 麒麟 淡麗〈生〉が市場を変えた!』(日刊工業新聞社)、新刊にイースト新書『居酒屋チェーン戦国史』などがある。

 

 

 

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